テストの採点について思うこと

期末テストが終わり、答案が返却されてきました。学校(小中高)のテストの採点について、長い間ずっと思っていることを書きます。

ある問題が×になるケースを、次の2つに大別します。

①解答欄に(決して的外れではない)何かが書いてあるものの、完全な正解でないので×。
②空欄のまま、あるいは完全に的外れなことが書いてあるために×。

この両者の評価が同じ(0点)という採点を目にすると、強い違和感を抱かずにはいられません。少しでも正しい方向に進めているのであれば、そのことに対する評価はあって然るべきです。上記の②のケースと同じ評価をするのは不適切ではないでしょうか。

例)算数(数学)・理科・社会
・計算問題で、正しい方向に進んだ形跡がある(道中にミスがあったため正解にたどり着けなかった)。

例)国語・理科・社会
・記述問題で、部分的に正しく表現できている。

例)英語
・英作文で、部分的に正しく書けている。

これらの場合に△(部分点)がない採点を目にすると、「何も書いてない答案と一緒にしないでほしい」「できた部分へのプラスの評価をお願いします!」という心情になります。

子どもたちの勉強に対するモチベーションへの影響も大きいと思います。学校での学習は、生徒により強い意欲を持たせるものであるべきです。これまでにメンバーのがっかりする表情を数多く目にしてきました。特に成績が真ん中あたり乃至それ以下の場合は、できたことの一つひとつに対して「よくやったな、よかったな」という評価や声かけが、子どもの学習エネルギーを増大させます。

※採点の公平性という観点を忘れているわけではないことを記しておきます。その上で、学校のテストは入学試験ではなく、その存在意義がどこにあるかを考えてほしい、という趣旨です。なお本稿では、テストの問題そのものには触れません。

※よく配慮された答案(採点)を見ることもありますので、全てにがっかりしているわけではないことを明記しておきます。

メンバーが答案を持ってきて見せてくれると、“点数が入らなかったが、前に進めることができた”問題へのプラスの評価を必ず伝えるようにしています。

 

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